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[旅行]紀伊半島に行ってきました。(4)

6月18日(月) 第2日目(2)

瀞大橋の近くにあるジェット船乗り場で下船。
バスで約10分ほどのところの駐車場(近くにホテル瀞流荘がある)で、マイクロバスに乗り換えて、丸山千枚田に向かいます。この駐車場には何故かトロッコ列車の駅があるのです。
昔ここ熊野市紀和町には鉱山があって、掘り出した鉱石を運搬するための貨車の軌道を今は観光用に利用しているのでしょう。
戦時中、ここで働かされていた外人(イギリス兵?)や韓国人のお墓があり、鉱山の資料館もありました。


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11:15 丸山千枚田着。
マイクロバスの運転手さんが案内してくれます。
以前TVでこの丸山千枚田には1340枚の畑があると聞いたことを覚えていたのですが、休耕田を含めると2000枚以上あるそうです。
歴史も古く1601年にはすでに2240枚の田んぼがあったという記録が残されているとか。
ただ、ここ最近この集落の人口は減る一方で、子供はいなく、平均年齢は71歳ということです。

したがって、この田んぼの維持・管理が難しく、今は集落の住人と一緒に管理団体がこの景観を守っているそうです。
県内外からも千枚田維持の支援者も多く、田んぼ1枚の出資金がが3万円だそうです。
広さによって金額に違いはないらしいです。
一番小さい田んぼ、なんと稲がたった3株しか植えられていません。
出資者にはここで取れたお米が送られます。綺麗な湧水で育ってできたお米は美味しいそうですよ。


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このあたりの歴史は古く、バスのガイドさんからは、神武天皇、後醍醐天皇、楠木正成、織田信長などの話が次々にでてくるのです。まいった。


12:20 昼食は「レストラン 熊野川」で。
ここジェット船の発着所にもなっています。瀞峡観光の拠点のようです。外国人観光客も多くいました。
平成23年の紀伊半島大水害の時は、レストランのモニュメントで「~」のところまで増水したと聞きました。


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昼食の後は、熊野三山の熊野速玉大社に向かいます。

13:30 熊野速玉大社着。
古来、多くの人々が熊野古道伊勢路を歩いて、ここに参拝に訪れたのです。
入り口にナギの巨木があります。ナギの葉の葉脈は縦だけに走っていて強いので、「大切な人との縁が切れない」ということで、この葉を持ち帰るとよいそうです。


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この大社の主神は、イザナミノミコトとイザナギノミコト。この2神は私でもわかりますが、あとの神様の名前は、、。


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お土産屋さんで、ここの有名なお餅(名前は忘れました!)をいただきました。ちゃんとナギの葉をつけてくれました。
御朱印もいただきました。この大社も八咫烏がシンボルとして使われています。


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ツアーは忙しいです。
次は熊野那智大社です。途中、熊野古道を歩くらしいのです。
14:30 大門坂付近の駐車場着。
ここにサッカー女子日本代表のモニュメントを発見。いいねえ。


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代表選手たちの足型(キーパーは当然手型)もあります。ずっと応援していた鮫島選手と澤選手のものを探しました。
2人とも意外に足は小さいのです。「鮫ちゃん、ベタ足じゃねえ?」などと、ここでも我が夫婦だけが興奮したのです。


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さあ、いよいよ熊野古道大門坂を歩きます。
南方熊楠が粘菌類研究のため3年間滞在したという大阪屋旅館跡を左手に見て、振ヶ瀬橋を渡ったら、神域です。
夫婦杉を見て、大門坂を登ります。雨の後でもあり、雰囲気がいいです。濡れた石段に注意しながら歩きます。
ツアーは良くしたものです。この大門坂を最後まで歩くのかと思っていたら、途中にバスが迎えにきてくれていて、那智大社の表参道近くの駐車場まで連れていってくれるのです。これで、「熊野古道」を歩いたことになるのです。一応。(笑)
駐車場にはちゃんとお土産品店の方のお迎えもありましたよ。


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さあ、意を決して表参道の石段を登ります。これは少々きついです。
最初に、那智山西岸渡寺にお参りして那智の滝を見にまわります。
那智山青岸渡寺にも日本代表の必勝祈願ユニが奉納されていました。
那智の滝はここ2~3日の雨で滝の水量が増えているそうです。
続いて、熊野那智大社へ。何かの工事をしていました。
社の屋根の下の垂れ幕(?)には、ここでも八咫烏が描かれています。


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ご御朱印もしっかりといただきました。


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熊野三山の参拝を終えて、熊野川に沿って勝浦方面に向かいます。
今夜のホテルは「ホテル浦島」。多くのツアーはこのホテルを利用している様子です。
勝浦港から連絡船に乗ります。

17:00 ホテル着。
バスのガイドさんから、「ホテル浦島」は巨大なホテルですので、館内で迷わないようにとか、フロントでマネージャーから館内地図を受け取り、「館内で迷ったら、廊下の誘導ラインにしたがって下さい」などとの注意がありました。お風呂も凄いそうです。
でも、私達夫婦は別府市にも住んでいたことがあります。「杉の井ホテル」があるし、少々の温泉には驚きません。(素直でないなあ)


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夕食はバイキング形式。この地方の食材を使った料理がたくさん並んでいました。
マグロの解体ショーがあり、韓国からのお客さんにうけていました。


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お風呂に向かう廊下に、こんなポスターが。こういうものにはすぐ目がいきます。
このポスターを見上げていると、韓国からきたと思われるおばちゃんたちの一行が。「それは何か」というような顔をするので、
「サッカーのポスターです」と。「おばちゃんたち、韓国のどこから来ましたか?」と聞くと、「釜山から」と。
「釜山は4回行ったことがあります。海雲台や龍頭山公園がよかった」と返事を。(ここまでは何とか韓国語でできました)
すると、「海雲台」と聞いた韓国のおばちゃん一行は猛烈な勢いでしゃべり始めるのです。こんなに早口な会話にはついていけません。まいった。


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エレベータにも貼ってあったこのポスター、日本サッカーと八咫烏の説明が書かれていました。
写真ではわかりにくいので、文章だけを引用しておきます。


(表面)
導け勝利へ!
導きの神鳥
八咫烏の”熊野”は応援します。
日本サッカー協会のシンボルマークに使われている3本足のカラスは、八咫烏(やたがらす)と呼ばれ、熊野三山では熊野権現の使いとして崇められています。多くのサポーターの願いと多くの祈りが代表選手に届きますように!!


(裏面)
日本サッカーと熊野の八咫烏
熊野の神鳥 八咫烏
 熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社・那智山清岸渡寺)では、八咫烏を神様の使いの鳥としています。神武天皇が霊地:熊野に迂回し、八咫烏の先導で太陽を背にして大和に攻め上り、日本の国を開いた故事(日本書紀)にちなんだものです。八咫烏は太陽のシンボルでもあり「南山」と呼ばれた熊野にふさわしい魂を運ぶ霊鳥とされています。

<熊野本宮大社の烏のマーク> <熊野速玉大社の烏のマーク> <熊野那智大社の烏のマーク>


日本サッカーの始祖・熊野の中村覚之助
明治11年、和歌山県東牟婁郡那智村浜の宮(現:那智勝浦町)に生まれた中村覚之助は、同32年、和歌山師範学校をを卒業後、東京高等師範学校(現:筑波大学)に入学しました。同36年、中村覚之助は坪井玄道教授が海外から持ち帰った米国の「アソシエーション・フットボール」を日本初のサッカー指導書として翻訳・出版し、同校にア式蹴球部を創設。同37年2月6日には、日本人初の東京高師チームと横浜外人倶楽部の対外試合を主導するなど、「日本近代サッカーの始祖」とよばれるにふさわしい業績を残しています、同年3月、東京高師を卒業後、中国の済南師範学校で教鞭をとりましたが、同39年7月、29歳のの若さで逝去しました。
 熊野出身の中村覚之助が、そのマークの発想に影響を与えた可能性が指摘されています。


ここまで引用して、次に忘れてはならないことを書いておきます。
日本代表のユニについている八咫烏のシンボルマーク(1931年制定)は、我が大分県の臼杵市出身の日名子実三という彫刻家がデザインしたののです。
日名子実三は、明治45年(1912年)臼杵市に生まれ、現臼杵高校から東京美術学校(現:東京芸大)に進み、東京美術学校を主席で卒業した方です。熊野出身の中村覚之助と臼杵出身の日名子実三はどこで接点があったのでしょうか。
W杯ロシア大会が近づいてきましたが、地元臼杵市ではこの日名子実三のことは話題になっていないようです。

おっと話がサッカーの方に行ってしまいましたが、この「ホテル浦島」は確かに大きいです。
が、「杉の井に比べるとまだまだ、、、」とはうちの奥様の弁。(笑)
ただ、忘帰洞や玄武洞という温泉はよかった。
これらの温泉、海岸に自然にできた(おそらく)洞窟を利用したものです。浴槽のすぐ前が岩場になっています。そこに太平洋からの波が直接打ち付けるのです。しかも、今夜は台風(温帯低気圧に変わってはいましたが)の影響で、波が大きいのです。
隣(女湯)から叫び声も聞こえます。時折波が浴槽に飛び込んでくるのです。
お風呂ですから当然写真は撮れません。うーん、残念。
こういう温泉はさすがの別府温泉にもありませんね。


さてさて、今日はよく歩きました。早く寝ることにします。
明日はいよいよ伊勢神宮です。

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